嫌われる勇気, 幸せになる勇気:アドラーに触れて
今更ながら、
— ちくわぶ🦜メンタル・乾癬 (@KAZUKIN41346023) August 31, 2020
✅嫌われる勇気
✅幸せになる勇気
を読み終えました。
色々な方のお話を聞くとアドラーの人生観は特に最近一般化してきたのかなと思います。
実践してこそなので積極的に取り入れ、合わないなら方向修正すれば良い。
上記にもありますが、、、今更ですかね。。。
著名な方々はよくアドラーを引用されてたり、その人生観(という表現が適切かわかりませんが)からの発言をされるシーンもよく見かけるようになりました。
私も、読もう読もうと思っていたのですが、ついつい後回しにしてしまい、この度ようやく両方とも拝読させていただきました。
人によって、また人生のどの節目で読んだかによって感じ方も変わる作品と思います。
しばらくしたらまた読み返してみるとまた別の発見がありそうです。
問答形式で展開されるアドラーの世界
本書では哲人(アドラーについて語る人)と青年(アドラーを語る哲人を否定したい人)との問答形式で話が展開されます。
ここで問答形式を用いたことが非常に素晴らしいと感じました。
古今東西で問答形式を用いた書籍があります。例えば仏教等の宗教の経典でも用いらる手法の一つです。
難解、あるいは信じがたい教えを説くには、教える側、つまり先生役だけがペラペラと説明するだけではなかなか相手に伝わりません。
そこで、教えを聞く側、つまり生徒役が先生役に質問を投げかけ、先生役がそれに応えることでより深い議論へと発展していきます。
ここで、便宜上「先生役」「生徒役」と表現しましたが、問答において二人に上下関係はないのだろうと感じました。
説かれる側(生徒役)がいてくれてこそ、説く側(先生役)も説くことができる。お互いが存在しないと問答にならない。より深い話をするにはお互いが不可欠だった、というように読めました。
加えて、青年の哲人に対する質問や反論は、まさに私も同じように疑問を持った内容だったので著者の方に心を見透かされた気分です(^^;
著者の方は【アドラーのこの話をしたら、こうした疑問・反論があるだろうな】ということを深く考察されていたのでしょう。
巧みな比喩を使った説明
比喩、つまり例え話を用いるシーンが随所にありました。
比喩も理解を助ける手法の一つです。
例えば"○○的思考"といった言葉だけを聞いても理解・イメージすることは難しいかもしれません。
そこで、比喩として「こうした状況下で頭に浮かぶ思考のことだ」と話すことで相手にイメージさせることができます。
この比喩が哲人や青年の実体験からだったり、現代で起こりえる事例から説明されることにより、アドラーの言葉が現代に蘇ったように感じます。
随所に出てくるキーワードを哲人が一つずつ比喩を用いながら説明してくれます。恐らく、これらの比喩がなかったら私は全く理解できなかったでしょう。
簡単には納得しない青年
哲人の説明は秀逸であったものの、もっとも私の理解を助けてくれたのは、なかなか納得しない青年の姿勢でした。
なぜなら、哲人が丁寧に説明したとしても、感情・人情・一般論といった視点から容易には納得できないと青年は主張します。それどころか「○○の部分は理解できるが、□□については私は納得できない!」とちょっとシツコイくらいの食い下がりをしてくれます。
こうした食い下がる姿勢は、青年が哲人の話を真剣に聞こうとする思いの現れであり、食い下がってくれたからこそ、哲人は更に深い話を青年に語りかけくれ、読者である私もより深い話を聴けるというわけです。
もし、青年が単純に「そうなんですね!」と納得してしまっては、読者である私も「そ、そうなのか・・・」と取り敢えずの納得をするしかありません。
実はアドラーを否定しようとしていた青年がいてくれたからこそ、私はアドラーに触れられる、そう思えました。
アドラーを知ってもらおうという工夫いっぱいの作品
「心理学」と聞くとちょっと難しいイメージですが、問答形式、比喩表現、簡単には納得しない青年(笑)といった様々な工夫が読者の理解を助けてくれる作品だと思いました。
また、こうした手間をかけているのも、著者の方の「アドラーを理解してもらいたい」という思いがあってこその手間・工夫なのでしょう。
まだ読まれていない方は、一度手に取り、哲人と青年が問答するあの書斎に足を運んでみてはいかがでしょうか?
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